2020年05月27日
はじめまして!
この記事を担当する高桑雅弘です。
石川県金沢市出身の、食と健康のつながりに関心をもつ医学生です。
将来の目標は食べもので健康を守るお医者さん「食医」になることです。
酒類や発酵食品を通して大学生に食の選択肢を知ってもらうイベントを開く「酒類研究会 醸鹿 Kamo-shiKa」を運営しています。
発酵食品に関心をもつ学生の目線で日本の発酵食文化をみなさんに紹介していきます!よろしくお願いします!
さて、さっそくですが質問です。
「大野醤油」とはどのような醤油かご存知でしょうか?
大野醤油はさかのぼること約400年前、加賀藩主の命により醤油醸造の技術が大野にやってきたことが始まりとされています。
醤油づくりには主に大豆、小麦、食塩、水と発酵を担う菌が必要です。
大野近辺から能登にかけて麦の作付けが盛んに行われ、田んぼの畦(あぜ)には大豆が植えられた他、北前船の海運により北海道や新潟などからも大豆の調達が容易でした。
加えて名峰白山から美味しい伏流水が湧き出る土地でもありました。雨が多く日本海にほど近いため、湿度は菌の育成にうってつけです。
また、大きな市場となる城下町金沢のおひざ元でもありました。
大野は醤油醸造産業が発展するための「醤油をつくる条件」と「醤油を売る場所」の両方が揃った土地だったわけです。
大野醤油は関東の濃口醤油と関西の薄口醤油との間との中間の淡い色をしています。また大野醤油は全国的に見ると甘口の醤油です。
砂糖や米を用いていたことを示す幕末の史料が残っており、この味の特徴は江戸時代からのものです。
海産物との相性がぴったりで、この甘口のお醤油で食べるお刺身は格別です。
大野醤油は加賀料理を支える調味料の1つです。
加賀百万石を築いた前田家の藩祖である前田利家は、かの千利休に茶道を学び、金沢に茶の湯文化を根付かせました。
この茶の湯の伝統を背景に育まれた金沢特有の美意識が、料理と器の彩りからなる加賀料理の美しさを生みました。
加賀料理にコクを加えながらも美しい素材の色を活かす役割を大野醤油が果たしてきました。
前田家は参勤交代の機会を利用して大野醤油を加賀藩の外へ宣伝したと言われています。
参勤交代で江戸藩邸に滞在する際に用いる醤油を大野産醤油としたこともあります。
素材や気候の自然条件、城下町金沢という大きな消費地や日本海の要港であり北前船の往来が盛んだった大野港という地理条件、そして加賀藩による保護を受けて成長した大野醤油は、加賀藩の特産の1つとなり現在に至ります。
最も多い頃には大野に60軒以上の醤油醸造業者があり、「野田・銚子・龍野・小豆島・大野」と並べられ、日本5大醤油産地の1つと言われました。
(2020年5月現在、大野醤油醸造協業組合に所属し大野町を所在地とする醸造業者は15軒)
1911年(明治44年)に創業したヤマト醤油味噌は長い歴史をもつ大野醤油文化の担い手として、伝統を大切に活かしつつ発酵食品のある生活を提案しています。
大野にあるヤマトの本店は「糀パーク」として無料のガイド付きツアーや体験プログラムを実施しています。
大野の土地で日本ならではの発酵食文化に触れてみてはいかがでしょうか。
大野醤油の特徴と歴史についてまとめた今回でしたが、調べれば調べるほど情報が出てきます。
個人的には大野醤油の発展を支えた流通の話や加賀料理と大野醤油の関係をもっと深めてみたいところですが、それはまた次回のお楽しみに!
◆記事内の写真提供:金沢市
◆外部リンク
ヤマト醤油味噌 醤油 ページ
https://shop.yamato-soysauce-miso.co.jp/fs/yamato/c/r-shouyu/